PELLE MORBIDA

18 .July .2019

+Talk

~旅と人生と丸山ゴンザレスさん Vol.1~

「Life is Journey」

毎回様々なジャンルからゲストを迎え、ざっくばらんに語り合うペッレ モルビダの談話企画。2回目は、クレイジージャーニーでもおなじみのジャーナリスト、丸山ゴンザレスさんです。危険地帯への取材を繰り返す丸山さんは、なぜその道を選ぶことになったのでしょう。若かりし頃のエピソードから、これから先に見ているものまで。どこを切っても面白いエピソードを、根掘り葉掘り聞いてしまいました。

右 :ジャーナリスト、旅行作家、編集者 丸山ゴンザレスさん

左奥: PELLE MORBIDA PR 相田正輝

左前: PELLE MORBIDA営業 嘉納信人

 

相田 僕はもう本当に大ファンで、テレビも拝見していますし書籍も読ませていただいているんですが…。

丸山 ありがとうございます。嬉しいです。

相田 聞きたいことがいっぱいありすぎるんですが(笑)、そもそも現在のようなスタイルというか、職業?になるに至った経緯を教えていただけますか? 元々は出版社に勤務していたと伺っていますが。

丸山 その出版社に入る前から話してもいいですか?そこまでもいろいろありまして(笑)。

相田 ぜひお願いします。

 

 

考古学者志望から編集者

そしてジャーナリストへ

丸山 もともと僕は考古学を専攻していて大学院まで行ったんですね。でもそこから先の進路を考えた時、学者としてやっていくって本当に大変だと思ったんです。非常に厳しい道で、研究施設や博物館、大学の教員なんて募集自体がそもそも少ない…。考古学者って自治体の教育委員会とか公務員としても働くことができるんですが、実際のところ募集なんてほとんどない。しかも時代は平成の大不況ど真ん中。色々考えて、考古学者になることは諦めざるを得なかった。そのあと無職の期間が2年くらいあるんですが、はっきり言って底辺の生活でしたね(笑)。日雇いバイトで小銭稼いでなんとか生活していたんですが、その過程でちょっと胡散臭いアルバイトもあったんです。よくわからないおじさんの話し相手になるとかね。もっと謎な仕事もあった。で、僕は元々そういう胡散臭くて怪しい世界に興味があったもので、これって結構面白いなって思うようになって、いろいろやるようになったんです。

嘉納 ジャーナリストになる前から、怪しい世界に興味があったんですね。

丸山 そうなんです。ただ、その頃に大学院の時の恩師から「いつまでもブラブラしてるんじゃない」とお叱りを受けて、先生の知り合いの会社があるからそこで働けと言われて入ったのが、遺跡の発掘や測量をする会社だったんです。ありがたい話で、今でも感謝しているんですが、ただ……その会社が一年ほどで潰れちゃいまして(笑)。波乱万丈でしょ。

相田 確かに(笑)

丸山 ただ、そこで働いていた時に偶然大学の時の同級生と再会するんですが、そいつが僕の会社の目の前にある彩図社って出版社で働いていたんです。そこにちょこちょこ遊びに行くようになって。高校の頃から旅はしてたんですが、大学入ってからは海外を放浪したりしてて、そんな経験談を話したりしていたら、その編集長が「それ面白いから本にしなよ」って。それで書いたのがデビュー作の『アジア罰当たり旅行』っていう本なんです。

相田 もちろん拝読しました! あの本にはそんな経緯があったんですね。

嘉納 そんな流れで、出版社で働くようになったと。

丸山 そうです。自分で本を書きながら、編集者っていう仕事を知り、書くよりも編集してみたいって思って、募集探して試験受けて入ったって感じですね。それからは安定した生活が続くんですけど、だんだん刺激が足りないと感じるようになってきて…。で、歌舞伎町あたりで夜な夜なパーティーを開いてみたり、色んな人を集めるようになったんですが、そこにアンダーグラウンドなカルチャーな人達が来るようになったんですよ。そしたらまたあの彩図社の編集長から「面白そうだから、その辺書いてみたら?」って言われて。会社に内緒で、「丸山ゴンザレス」名義で自分の活動記録として本を書くようになったんです。その後は出版社に勤務しながらフリーライター、ジャーナリスト活動を並行でやっていたのですが、気がついたらフリーランスの仕事の方が多くなりすぎて、これはそろそろ会社にバレるなって思って辞めました。

 

 

外の世界に興味を持ち

ディープな世界に惹かれていった

相田 なるべくして、って感じですね。

嘉納 高校の頃から一人旅をしていたとおっしゃっていましたが、昔から旅好きだったんですね。

丸山 高校は、好きで行ったわけではないから、いろいろと物足りなくて。だから休みの度に旅に出てました。青春18切符で。現実逃避とかじゃないです。なんかずっと地元じゃ息が詰まるし、他の土地に行ってみたかったってだけで。でも旅を通して出会った同世代の人たちがぜんぜん違う環境で過ごしていたり、全然知らない大学生に野宿の仕方教えてもらったり。刺激的でしたね。それで旅が好きになっていきました。

相田 もともと、アンダーグラウンドなものが好きだったんですね。

丸山 そうですね。風俗店覗いたり、ストリップとかいっていたし、雑居ビルにある謎の店とか、路地裏の何やってるかわからない店に入るのも好きでしたね。

相田 今のスタイルのルーツがそこにあるわけですね。

丸山 そこからは割と自然な流れだったと思うんですよ。僕が大学に入った頃って猿岩石ブームがあって、沢木耕太郎さんの『深夜特急』があって、アジアブームが来ていたから、大学生になったらアジアに旅に出るっていう普通の流れがあった。当時、わりと多くの人がアジアに旅行に行ってたと思うんですよ。僕もその流れで行ってたと思うんで。

嘉納 “バックパッカー”っていう言葉をよく聞くようになったのって、その頃からですよね。

丸山 仲間たちの間で自分がどんなことをしたかを自慢するのがみんな楽しかった。スラム街に行ってきたとか、やばいところを見てきたとか。で、みんなに「うぉー!」って言われる。そういうのが楽しかったんですよ(笑)。年齢を重ねるにつれ多くの人はそこから降りていったけど、僕はまだその延長線上にいる。ただそれだけなんです。ステージが変わっただけで、やってることは全然変わってない。

 

 

Vol.02『ライトタイム、ライトプレイス』に続く